とにかく美しい。映像も、音楽も、ストーリーも。
全てのシーンが絵画の様で、うっとりする。ストーリーにもやっとするところが無いわけじゃないけど、圧倒的な美しさでねじ伏せられる。
パドマーワト 女神の誕生
機内で観てハマって、映画公開を心待ちにしていたので、大きなスクリーンで観られた事にとにかく感謝しかない。公開にこぎつけてくれたスペースボックスさんにも、上演してくれた映画館にも、公開されるよ!って情報をくれた方にも、本当に感謝。
機内で観た時の感想はこちら。あらすじなんかはこちらで書いてます。
【映画の感想】ANA機内で観たインド映画「PADMAAVAT」が素晴らしかったよ
以下、ネタばれ含みます。ただ、ストーリーはシンプルなので、結末を知ってもそれ程面白さは損なわない気がします。
もっと早く感想書きたかったのだけど、あまりの美しさに語彙が無くなってしまって、書こうとしても本当に全く言葉が出てこなかった。上手く感想を言語化出来る気がしないけれど、とりあえず書いてみる。
機内で2回ほど観ていたので、3回目の観賞だったのだけど、機内ではカットされていた部分があったし、字幕も結構違っていた。前回の感想は機内での字幕に合わせて「パドマーバティ」って書いたけど、今回は映画館での字幕に合わせて「パドマーワティ」にしました。
冒頭の注釈は機内では無かったのだけど、映画館では「動物はCGです」だの「サティーは推奨しません」だのと入る。多文化・他民族のインドなので、多方面に配慮する必要があるのでしょう。「サティーを推奨するものではない」っていきなり注釈入ったら、結末分かっちゃうじゃんね。ベースとなってるのが有名な叙事詩らしいので、結末なんてみんな知っている想定なんでしょう。
スルタンの家臣、宦官のマリク・カフールのシーンも、機内ではカットが多かった気がする。というか、マリク・カフールからスルタンへの想いを臭わせるシーンはほぼカットだったような?なんでだろう。
改めて、大画面で観るパドマーワティの美しさ・可愛さ・気高さにメロメロになった。画面に映る度、新鮮に「可愛い!」「美しい…!」と感動する。凄い。まさに、「美の女神も恥じ入る美しさ」。
バーフバリのアバンティカ役のタマンナーちゃんも絶世の美女だと思ったけど、パドマーワティ役のディーピカー・パードゥコーンは、もしかしてそれを超える美女かもしれない…。170cm超えの長身で超小顔、スタイルも抜群だった。徳積みまくって5回くらい転生したら、あの顔に生まれるだろうか?と思って、電車で積極的に席を譲る様になった。←
パドマーワティはそれ程口数は多くないのだけど、大きな大きな目で全てを語るんだよね。マハラジャへの愛も、強い決意も。マハラジャとスルタンとの決戦直前、大きな目に涙をいっぱいに貯めて、マハラジャを送りだす表情が印象出来だったな…。
あと、ジョウハル前の強い決意を秘めた表情と、そこから火に入る本当に直前にフッと笑顔になるのも、凄く良い。この物語は、決して、悲劇じゃないんだよな。
メーワール国のマハラジャ、ラタン・シン役のシャーヒド・カプールも、整った顔立ちでパドマーワティとはお似合いだった。並んで全身映ると、やや小柄で華奢な印象だったけれど。
ラタン・シンも目で語るタイプで、わりと常に優しい目をしている。スルタンと対峙した時ですら、優しいというか、余裕のある表情の事が多いので、怒ったときとのコントラストが良い。自らの正義を信じで突き進むタイプの武将で、実際にはかなり熱い人なんだけど、スルタンと並ぶと落ち着いて見えるから不思議。かなり対照的に見えた。
この手の物語ではラタン・シンの立場が主役として描かれる事が多いと思うのだけど、主役はあくまでパドマーワティで、でもラタン・シンもそれなりの存在感じゃないと話が成り立たない。面白いバランスだなって思った。美女が主役だと、「美女に周りが翻弄される」みたいになる場合もあると思うんだけど、パドマーワティは周りを翻弄はしないんだよね。結果的に扇動してる部分はあるけど。
ラタン・シンは強く気高い戦士で、絶対の王で、でもパドマーワティを支配はしないし、翻弄もされない。きちんと対等な関係として描かれているから成り立つ話なんだな。
デリー・スルタン朝のスルタン、アラー・ウッディーン・ハルジーは、観れば観るほど魅力的なキャラクター。1回目は「敵役の狂人」って印象だったけど、2回、3回と観ると、人として壊れている様で、大きな孤独を抱えた寂しい人なんだなと思えてくる。既に多くのものを手に入れているのに、「手に入らないもの」しか見えていないんだよね。なんて寂しい、可愛そうな人だろう。
一か所気になったんだけど、戦場で兵士を鼓舞するシーン。恐怖政治による支配かと思いきや、言葉で兵士を鼓舞する事も出来のかーと、正直意外。あんまり人の気持ちに関心がある様に見えないのだけど、あのシーンは「こうすれば兵士は付いて来るだろう」って計算している様に見えるんだよね。それ以外のシーンではそういう計算で動いているタイプに見えなくて、あそこはちょっと違和感あったな。
スルタン・アラーウッディーンの叔父(前スルタン)の娘(つまり従兄?)で奥さんのマーヘ(確か。あまり名前出てこない)も、とても印象に残る人だった。
とっても綺麗な人なんだけど、どこか控えめで、パドマーワティと並ぶと「太陽と月」って感じ。思慮深くて、一歩引いたようで、でも強くて大胆。パドマーワティを独断で逃がすの、めちゃめちゃ危険な賭けだったと思うんだよ。下手したら自分の首が飛んでたし、実際牢屋行きだし。そもそもパドマーワティを逃がしたところで、自分には何の得も無い。それでも、パドマーワティの美がスルタンを破滅させると分かっていたんだろうな。投獄される前の「全ての望みがかないますように。パドマーワティを手に入れる以外」(うろ覚え)ってセリフ、彼女の本心何だと思う。パドマーワティへの嫉妬では無く、スルタンを破滅から救ったのだと思うし、あんな夫でも、彼女は愛しているんだろうな。それが健気で、とても切ない。彼女も口数は多くないけど、表情やちょっとした一言から、意志の強さや聡明さを感じる。この物語の女性たちは、皆強いな。
機内で観た時に比べて、存在感が増していたアラー・ウッディーンの家臣、マリク・カーフールはじめ、周りを固めるのも魅力的な人物ばかり。メーワール側の武将たちも皆きちんとキャラが立っている。マリク・カーフールが、スルタンへの愛を歌いながらスルタンの為に女を用意するシーンが切ない。スルタン愛されてるんだよね。でもスルタン自身はパドマーワティしか見えていない。
古典的なインドの生死観に基づく映画なので、他にもっと道は無かったのか??と思わずにはいられないラストではある。映画において、死を覚悟で負け戦に挑む戦士が描かれる事は多いけれど、城に残された女の集団自殺を描いたものは、今まで観た事が無かった。かなり衝撃的だった。
ラージプート族はクシャトリヤ(=戦士・王族。バラモン教においてバラモンに次いで高位の階級)で、特にメーワール国はデリー・スルタン朝の侵攻(この映画のお話)にも、その後のムガール帝国の侵攻にも、激しく抗った歴史があるそう。いずれもイスラム教で、インド以外にルーツを持つ勢力なので、ヒンドゥー教徒のインド人にとって、メーワール国やラージプート族は、誇りの象徴なのかもしれない。ラージプートの女もまた戦士の一員であるとすれば、炎に包まれ散る事は、戦場で散る男たちと対等である事の表れだろうか。
途中までは「辱めを受けてでも国民を守りたい」と言っていたパドマーワティが、最後にはジョウハルを扇動するのは、正直ちょっと違和感がある。けれど、アラー・ウッディーンが2度目の遠征に来た際、ラタン・シンが「戦士として華々しく散る」覚悟を決めた時点で、パドマーワティも戦士の一族としての覚悟を決めたんだろうな。女・子供はどこかに逃げられないの??とちょっと思ったのだけど、ラージプート族の女はあくまで戦士だから、敵に背中を向けたりはしないのでしょう。そう思うと、ちょっと納得がいく。
個人的に、サティやジョウハルに関しては、インドにおける女性の地位の低さや、「貞淑であるべき、常に夫に従うべき」といった価値観から生まれたと考えているので、決して美しい習慣とは思わない。ただ、ご都合主義とは思うけれど、この映画においては「戦士として、自らの尊厳を守るため、あくまで自分の意思で」という解釈がしっくりくる。戦国時代の武士が切腹したのと同じ。戦場に散る戦士と同じ。彼女らは戦士で、逃げる事も、敵に落ちる事も、潔しとしないのだ。そう考えると、とても美しいラストだった。
※画像の出典は全て映画の公式サイト( http://padmaavat.jp/ )
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